世界を旅する写真家、
高橋ヨーコさんが変わらず好きなもの
靴下の脱ぎ履きという行為はときに人を活動へ導き、安息へと誘うもの。その存在を日常生活のスイッチに見立て、クリエイターのオンやオフを通してその創造性を紐解く。今回は、ブランドのことを最も理解する存在のひとりであるフォトグラファーの高橋ヨーコさん。2020年に10年間のアメリカ生活から日本に切り替え、2拠点生活をスタートさせた新しい空間には、昔から変わらない好きなものやこだわりが詰まっていた。
雑誌や広告、映画など幅広いジャンルにおいて行く場所、着るもの、食べるものなどライフ・カルチャーの息づくさまを表現する写真家、高橋ヨーコさん。これまで世界およそ70カ国以上を訪れては、独特の場所選びと色使いでその地が持つ憂いのあるさまざまな横顔を魅惑的に映し出してきた。 マルコモンドでもこれまで幾度かコラボレーションを行ってきたが、その関係性はブランド創立前、デザイナーの角末有沙が制作会社に勤務していた当時からである。大規模な企画でも物怖じしない若手プロデューサーと超人気写真家は、仕事を通して信頼で結ばれる存在となり、ともに近畿地方の出身ということもあってか、好きなものの共通点が多く共感できる友人となった。お互いの家とオフィスが近かった当時、靴下のサンプルをスーツケースいっぱいに持ち込んで意見交換をしていたのは16年前だが、今でも変わらず新鮮な視点を与える大切な存在となっている。
「以前は靴下のことなんてそんなに考えたことがなかったので、HanesやFruits of the Roomを履いていたんですが、マルコモンドのおかげで靴下ボックスが常にいっぱいになりました。特にカシミア素材やコットンのものが好きですが、いろいろな素材のものがあって、16年以上持っているものもあります」。
大量生産では扱いきれない複雑な柄を表現したり、肌触りの良い上質な素材を使うマルコモンドの靴下は、ときに主役になるほどの存在感を放つこともある。色ものを着用することが多い高橋さんの服選びに大きく影響しているという。
「靴下って本当に選ぶのが難しいですよね。マルコモンドのかわいい靴下を持つようになってから、靴下もコーディネートしなきゃいけないってことに気がついちゃって、すごい大変。パンツと靴下までは合わせられるんだけれど、靴が来ると『だめだ!』となってしまう。お気に入りのえんじ色のVANSに赤は合わないし、チェッカーフラッグ柄にストライプやボーダーもおかしい。あと、せっかくかわいいのにパーツが見えないとかもすごく気になる。自分的にはココ(パンツの裾から靴まで)はすごい勝負だから」。
気に入ったものを手に入れたら、徹底的に手を尽くす
定番のアイテムからこれぞというものを自分らしく着こなす高橋さん。ファッションにおいてのこだわりは、地味にならないように気をつけること。神奈川県の秋谷にある家には、気に入った型のさまざまなシューズが、色違いやちょっとしたサイズ違いでずらりと並ぶ。好きなものに出会うと最後、ほころびができたり、気分や体系の変化で似合わなくなったと感じたりしたら、乾燥機にかけたり自分で丈を詰めたり襟を取ったりと手をかけて、末長く添い遂げる。以前、マルコモンドとチャリティTシャツをコラボ制作したとき、既存のボディを多少カスタムするつもりが、こだわり過ぎて採算が合わなくなりそうになったこともある。好きなものに固執する姿勢は小さい頃からの反動のようだ。
「自分の好きなものを探すのが昔は本当に大変だったんですよ。小さい頃は選ばせてもらえないから、『女の子はこれ』みたいに決められたりすることもものすごくイヤだったんです。やっと自分で選べるようになってからも、メンズ形の方が好きだということもあって、サイズ感が合わないとか苦労してきたから、1つでも見つけたらずっと大事にしたいんです」。
靴下選びに失敗したら一日落ち着かないから、出張には余分に持って行くというほど。自分にしかわからない小さな問題へのこだわりが、生き方や暮らしぶりへと知らずに影響しているのかもしれない。
10年ごとに拠点替え。マイペースに進める人生の新しい挑戦
現場でこそ捉えられる空気そのものを巧みに汲み取り、ファッションやライフスタイル系の雑誌や広告、映画など、世の中の仕事を幅広く手掛けてきた高橋さんは、2010年、突然アメリカへ移住した。当時、やりたいなと思ったことはだいたい叶い、ちょっとやってみたかった「海外で暮らす」ことに挑戦をするなら「今しかない!」と思い決めたのだという。親の健康などを考えたときに最後のチャンスかもと思うと同時に自分への自戒の思いもあったという。
「お金が入ってくると、その生活レベルを維持したいがために仕事を選んでしまうような自分がちょっと想像できて『危険やな』と思ったんですよね。自分は大丈夫と思えなかったから、そういうところから逃げようと思って」。
アメリカでは旅をしながら写真を撮ったりビジュアルジャーナルを作ったりとマイペースに活動を続け、10年経った2020年に帰国。現在は、神奈川県の葉山エリアにある秋谷の中古住宅と東京の駒場にあるヴィンテージマンションの2拠点で生活している。
「友人からは“ちょっといい暮らしをしたいノマド”って言われます。駒場を拠点にしたのは、遊んで秋谷に帰るのにしんどくなったのもあったんですよね。このヴィンテージマンションは築年数が古いので天井を高くしたり、収納棚を取り払ったり、ちょこちょこ目に見えるところを自分の好きなようにリフォームしています。今日、人が来るからとトイレのドアの設置を急いでもらったんですが、頼んでおいたペンキがすごく良い色に上がってきたんで、明日はまたどこか他のところを塗りたいなって思ったり。床も赤・青・黄色っていうのはどこかでやりたいなと思っていたんです」。
のんびりとした環境の秋谷は「いいところ過ぎて大丈夫かな?」という気にならなくもない。歩くと人に出会う東京の距離感が心地よく、今は刺激的だ。世界を回って様々な国が持つ色の特徴を捉えてきた高橋さんらしい配色を施した駒場ハウスはいずれ、友人が集まれるコミュニティスペースのようになるのもいいな、とイメージをふくらませる。
写真への原体験は強烈な社会情勢を捉えたドキュメンタリー写真
ヴィム・ベンダースの写真集『パリ・テキサス』を見てはアリゾナへ出向き、とある写真に触発されてジョージアへ向かったことも。とにかく撮りたいという目の前の衝動に向き合いながら、極東の地や北の果ての大自然へと平然と立ち向かい、それ以上の画をとらえて帰って来る。写真に影響を与えた存在を聞いてみたが「(誰かを)目指せないからね」とポツリ言うその創造の種は、90年代最大とも言える社会的な事象に起因しているそうだ。
「“ベルリンの壁 崩壊”っていうニュースが、自分にすごい影響を与えてる気がします。20歳の当時は意味がよくわからなかったんですよね。今考えるとだいぶ大人なのに、東ドイツと西ドイツが155キロの一枚の壁で分けられていたなんてそもそも知らなくて『東?壁?どういうこと?』って。それから、壁の向こう側を見たい欲が沸き起こったんです。当時、『壁の向こう側』っていう写真集がすごく好きでした。誰かの写真集というよりは、『朝日グラフ』や昔ロシアにあった『モスクワグラフ』ようなグラフ誌に出てた写真を1冊にまとめたみたいなものだったのですが、それには結構影響を受けていると思います。グラフ誌って版が大きくて子供の頃から大好きだったんですよね。ドキュメンタリーだとかもわからずとにかくかっこいいなあと眺めては、蛍光灯の緑色とか好きだなとか、この写真撮りたいなって思ったりしたのをすごく覚えています」。
情報が限られていた時代に感じた、何かわからないものとの出会いへの羨望や、壁の先が見えたときの視界の広がり。異文化への接触とそれによる衝撃を写真という媒体を介して全て凝縮したいとどこかで思っているのかも知れないという。
「写真って、真実も写ってるんだけれど見えないところがたくさんあって『どうなってんだろう?』みたいな、情報量がちょっとあるぐらいのところがいいなと思って。写真を撮りに行くときに、どのような写真を撮るかプランをしたことはないです。何があるかわからないのが楽しいから行くから。どうしたらカメラが一番簡単に取り出せるか、重くせず予備を持っていくか、機材のシュミレーションはしますけどね。ほぼ一人で調べて、ふらふらして鼻を利かせておもむくままに撮影をしています。たまに交通や情報収集のために現地のガイドさんや、興味深いブログを書いている人なんかを探してコンタクトをしたり、旅行会社の扉を叩いて個人ツアーがないか直接お願いしたこともあります。観光客らしいところにはいかないで「サナトリウムないですか?」っていうからツアー会社の人々は驚きますよ。それでもすごく調べてくれて、一軒見つかったのがすごく良い施設で、そこで撮った写真がTシャツにしたものです。中央バスターミナルとか、とりあえず行っとくかみたいな場所はありますけれど、こういうところに行ったら良い施設がありそうっていう嗅覚に従って足を運んでいます」。
高橋さんの旅の写真が観るものの印象に残るのは、空間そのものが閉じ込められたような緊迫感がありながらどこか可愛らしい独特の均衡を保っているところにある。作為のないルポタージュのような摯実さを持って人物や物事が切りとられながらも、そこには心地よい余白が必ずある。それらが良質に伝わるのはアウトプットへの強いこだわりがあるからだ。
「雑誌のページとかもなるべくレイアウトしてから渡しますし、作品は必ず本にしてから渡すようにしています。見せ方で変わるんで、こうきたらこう、みたいな法則がありますから。やはりページものが好きなんですよね。ウェブは一枚絵みたいなものなので、ページをめくる喜びというか、余韻がないなと感じることもあります。たまたま自分が関係したものがそうだったのかも知れないですけれど。可能性がありすぎて難しいのかも知れないですね」。
これからはもっと新しい人達とのものづくりもして行きたいし、旅の動画や本、写真図鑑なども作っていきたいそうだ。未知なる出会いと感動を求めて、高橋さんは今日もどこかへ歩き出す。足元にはマルコモンドのソックスを携えて。