とんだ林蘭さんが節目に訪れる奥渋のエアポケット
靴下の脱ぎ履きという行為はときに人を活動へと導き、安息へと誘うもの。その存在を日常生活のスイッチに見立て、クリエイターのオンやオフを通してその創造性を紐解く。連載第一回目のゲストのとんだ林蘭さんにとって安寧の空間である和菓子店の一角で、創作の根源となっている意外な過去の生態に出会った。
ミュージックビデオのアートディレクションやビジュアル制作などを手掛けるとんだ林蘭さん。イラストやコラージュ、動画などを駆使してアイデアを形にする作業を行う一方で、ラグジュアリーブランドのパーティに出席したり、音楽イベントに出向いたりと日々多忙な日々を過ごしている。まだ温かな冬の入口、ロングコートに身を包み、マルコモンドのレッグウォーマーとワンデルングのカシミアフーディをスニーカーで合わせ、リラックスした表情で現れた。
彼女が選んだのは、東急本店が消えた渋谷から代々木八幡の方へ向かう通称「奥渋」エリア。和菓子店「かんたんなゆめ」は大通りまでのちょうど真ん中あたりの小高い丘に建つピンク色の建物だ。渋谷円山町から日本橋へ移転後、再び渋谷で開店することになったのだそうだ。季節の味覚を取り入れた和菓子の様式をもちながら、チーズケーキのような練りきりやピスタチオの羊羹といった味覚のスパイラルで心地よく想定を裏切ってくる。パティシエの寿里さんがひとりで切り盛りし、トラックメーカーのSEIHOさんが音楽活動をしながらおでん屋に続いてオーナーを務める。クラブをきっかけに出会ったこの店は、蘭さんにとってスイッチの切り替え風景になっているという。
「時間と気持ちに余裕がないと来られない場所なんです。6時までなのでランチでもなくディナーでもない。となると、日常的にお茶はしないので、本当にゆとりがある完全オフの日にだけ来ることができる。ここに来ると1日の充実度がだいぶ違うんです」
差し迫るもののない休日にしっぽりといただくのは、和菓子とほうじ茶のお酒。日々締め切りに追われる蘭さんの作品は、洒脱さがありながら同時に不気味の谷が潜むような、絶妙なパラレルワールドが魅力だ。チェコ生まれの芸術家/映像作家のヤン・シュヴァンクマイエルが繰り出す世界や『ちびまるこちゃん』に描かれるシュールさや歪みを、日常の地続きから無意識に紡ぎ出す。
「でも、制作するときにはあまりそれを意識してはいないんですよね。見る人にとってはポップに見えるときもあると思うし、それはそれでいいかなって。今はクライアントワークばかりやっています。音楽に関わる制作のときは、完全にアーティストに寄り添って作っています。活動の流れを俯瞰したときに、こういうのをココでやったら面白いんじゃないかとか考えたり、楽曲の音楽性に合わせて作ったり。流れを変えたいというオーダーであればその方法を考えます。手放しで作りたいものを作る時の作品とは違う考え方をすることが楽しくて、自分の幅が広がっていると感じています」
フランスの家具メーカー〈リーン・ロゼ〉のソファ、ロゼトーゴの50周年を祝ったコラボレーションでは「TAMESHIGAKI」と銘打ち文房具店のペン売り場にあるメモのようなプリントを発案した。高級家具に描かれたパンキッシュなちぐはぐさは絶妙な洒落感があり、同時に幼い子供の落書きをも想起させる。人生におけるかけがえのない日常の瞬間を封じ込めたような永久性が漂う、家具をキャンバスとした素晴らしいデザインだ。
「試し書きって面白いなって思っていたのを思い出して、日本語の言葉とか何気なしに書いたことが載っていたら面白いんじゃないかなと思って」。しかし、このようなアイデアを蓄えたりすることはあまりしない。「それよりもそのときに浮かぶことが大事。メモっちゃうとそれに頼ってしまうタイプなんで、それが嫌なんですよね。そもそも、締め切りがあればその日に考えて浮かんだことが全部って思ってるんです」。
その即興性は蘭さんの「ギャル出身」という歴史に紐づいているといったらこじつけ過ぎだろうか。「今がサイコー」と瞬間を謳歌し、若く勢いのある自分と仲間とともに道なき道を邁進していた平成のギャルは、時代を切り開く象徴でもあった。“かわいい”を追求するため、海水浴にはコテや着替えをトランクいっぱいに詰めて行く。その美意識こそが現在の制作における土台になっていると蘭さんはいう。
「ギャルって一般的にかわいいとかではないし、独自の文化なんですよね。肌の色やメイクにファッション、立ち居振る舞いなど一日で習得できるものではなくて、それを目指すためには本来かなり努力が必要なんです。一般の人には『えっ!?』って2度見されるような存在ではありましたが、みんなに好かれなくても自分が好きだったらそれでいい、とやり続けていた。それって、アートや作品にも同じことが言えると思うんです。好きという人もいれば、嫌悪感を持つ人もいて、無関心な人もいる。でもそれを気にせず自分が作りたいものを追求していくうちに、好きと言ってくれる仲間ができてくる。そういう楽しさは今やっていることと結構似ていると思うんですよね」。
野性味あふれるとんだ林ワールドは、日常の歪みやはみ出しへの耐性によって拡張していく。
「インスピレーションを得るために美術館や映画館などの特別なところには全然行かないかもしれないです。自分でチケットを取るのはクラブイベントやライブぐらい。自分の好きな過ごし方をしながら、生活で得たものをろ過して残ったもので作るような感覚で、ひとり、家で発想を練っています。日常の中から考えることが好きなので、身の回りに溢れてるものから発展させることが多くて、あまり背伸びしてない世界線にあるもので創作する方が自然にできるんですよね。それでいうとギャル時代と変わっていないかも。その日暮らしを楽しむので、オファーが来たら嬉しいし、一生懸命にはなるんですけれど将来どうとかあんまり考えてないかも知れないですね」。
目の前にあるものに全力で美意識を持って向き合うことに尽きるという仕事の振り幅は、増え続けている。経験によってよりたくましくなる彼女の、相当数のルーズソックスを履い尽くしてきたその足を今、やわらかな上質のウールが優しく包み込む。